CAPS編集室
#3 お金の為に働いていた僕が、感情報酬と出会って人生が豊かになるまで
〜CAPSから世界へ飛びだし、グローバルリーダーへ〜
日本のオフィスを飛び出して、アカツキ台湾で奮闘中の検証リーダーに、お話を伺います!

【人物紹介】
[アカツキ台湾/亦木旭]
2017年2月にアルバイトとしてアカツキ東京へ入社。
その後、100名規模のプロジェクトの検証リーダーを経て、2019年11月にプランナーに転身。
現在は、アカツキ台湾オフィスにて、台湾の検証チームを統括している。
「お金のために働く」から、「感情のために働く」へ
──亦木さんは、アカツキ入社前はどんなことをされていたんですか?
事情があって大学を中退し、イベントの設営会社で働いていました。
現場に行って椅子や机を並べたり、現場の図面を書いたりしていました。
その時は、とにかくお金が必要だったので「どうすればもっと、お金を手に入れられるか」という事だけ考えて働いていたので、働いていても全く楽しくなかったです。
とにかく沢山働いて、給料明細を見て、いくら稼げたか確認するぐらいしか、モチベーションがなかったですね。
そんな生活を、21歳から3年間続け、その後アカツキに入社しました。
──アカツキに入社したきっかけを教えてください。
イベントの設営会社で、ずっと働いているうちに「この仕事をあと50年やるのは、絶対自分には無理だ」と思うようになって、転職を決意しました。
それから、「自分が純粋に夢中になれたものって、何だろう?」と過去を振り返って、考えた時に出てきたのが、「ゲーム」でした。
ゲームに没入して得た体験や、価値観が「今の僕を形作っているな」と思えたんですよね。
なので、ゲーム作りに携わるためにゲーム会社を探しはじめました。
「a」から探したので、2件目ぐらいでアカツキのホームページにたどり着ついたんですよ(笑)
そこで、アカツキが掲げていた「感情報酬」というワードが、すごく自分に刺さりました。
ずっとお金のためだけに働いてきて、もうお金のために働くのは嫌だったのでとても新鮮に感じたんです。
半信半疑でしたが、「これを本気で言っているのなら、凄いな」と思って、アカツキで働くことを決めました。
──お金のために働くのが嫌になったのは、なぜですか?
単純に、お金のために働いてもワクワクしなかったのと、お金の使い道があまりなかったんですよね。
お金を得たら、使わない限りはただの紙幣とコインじゃないですか。
お金を100万円稼いでも、そのうち10万円しか使って楽しめないのであれば、100万円稼ぐ意味はないかなと思ってしまって。
お金のためじゃなくて、何か違う働く意義を見出したいと感じてました。
──実際にアカツキに入社してみて、印象はどうでしたか?
丁度、入社した時期が大型キャンペーンの実施タイミングで、僕自身も周りのメンバーもかなり大変な状況でした。
ただ、そんな状況でも周りのメンバーは、「辛い」とか「嫌だ」とかネガティブな事を、絶対言ってなかったんですよね。
ちゃんと自分たちの仕事にプライドがあって、目の前の目標を一つずつ達成していく力強さがありました。
本当にプロジェクト全体が、仕事に対してめちゃくちゃ真剣で、そして楽しそうだなと。
そういった熱い場面を目撃する度に、「この会社いいな」と自分の中で感じました。
また、今まで自分になかった新しい価値観に触れることで、少しずつ自分の中で「僕にとって、アカツキで働くことが充実した人生に繋がるかもしれない」と思うようになりました。
検証リーダーからプランナーへ転身。そして日本を飛び出し、世界へ
──入社後、検証リーダーになるまでの心境を教えてください。
入社当初は、正直プランナーになることしか考えていなかったです。
だけど、CAPSで働いているうちに、どんどん自分の中でCAPSの存在が大きくなっていきました。
当時の上長だった安納さんや渡辺さんが、今までに見たことがないくらい熱い人達で、「こういう人に憧れるな」と思えたんです。
まずは、プランナーになる前にこの人達に、ついて行ってみようと思えたんですよね。
それから、3~4人ぐらいの小規模なチームリーダーを経験させてもらったり、プロジェクトの検証リーダーをさせてもらったりして、入社して3ヶ月ぐらい経った頃には、プランナーになりたいと思わなくなりました。
プランナーになるのは、経験の1つでしかなく、僕の人生の終着点はプランナーになることではないなと自然と思えたんですよね。
──では、その検証リーダーから、プランナーへ転身することになったきっかけはどんなものだったのでしょうか?
プロジェクト全体の検証リーダーを任されてから、1年ほどずっと同じポジションにいました。
だけど、リーダーの役割を他の人に渡していかないと、人が育っていかないと感じて、次の場所を探すことを意識し始めました。
そんなことを考えていた時に、アカツキ台湾で大きな障害が発生してしまい、問題解決と組織の守備力強化の為にプロジェクトメンバー数名で、一週間ほど台湾オフィスに行くことになりました。
僕は、検証リーダーとしての知見があるのと、中国語が少し喋れるということで、たまたま声をかけていただき同行させてもらいました。
台湾で、当時PL補佐をしていた田川さんや、Think@(シンカ)*の小崎さんと一緒に仕事をしてみて、自分にとっての学びがとても多く、そしてワクワクしました。
また、台湾の雰囲気や働き方など、僕にはなかった新しい価値観や文化を知って、衝撃を受けました。
その時に、CAPSにいるだけでは触れられない価値観や、できないことが結構あるんだなと感じました。
きっと、プランナーの領域にも踏み込んでみなければ、プランナーのことは絶対に理解できないだろうなと思ったんです。
それで、プランナーになってみて別の経験を培いたいなと思い、プランナーに転身することを決意しました。
*Think@(シンカ):ゲーム事業部で「事業企画」と「業務推進」を行っているチームです。
──なぜ亦木さんは、未経験からプランナーになれたのでしょうか?
僕の場合は、プランナーと検証との意見交換の場を設けたり、ユーザー目線で施策スケジュールを提案してみたりと、「検証」としてではなく「プロジェクト全体」を見て、何をすればいいのかという目線で考えて行動することを意識していました。
あとは、積極的に自分から周りの人へフィードバックを聞きに行って、そこで学んだことをすぐに試してみたり、とにかく「今の自分より成長する」ことをがむしゃらに追い続けて、泥臭く頑張るというストロングポイントが、周囲に認めてもらえたからプランナーになれたのかなと思っています。
「こいつ、ここがいいから賭けてみよう!」と思ってもらえるようなストロングポイントがあるかと、本人のプランナーになりたいという強い熱意があれば、未経験でもプランナーになるのは、難しくないのかなと思います。
──日本を飛び出して、アカツキ台湾オフィスで働き始めることになった経緯を教えてください。
少し遡りますが、検証リーダーだった頃に台湾に行く機会があって、その時に上手く仕事ができなかったんですよね。
1週間で結果を出さなければいけないという焦りもあり、配慮を欠いたコミュニケーションをしてしまいがちで、田川さんからも「コミュニケーションの取り方を考えた方がいいかもしれないね」と言われてしまう程で…。
日本だと、もう関係性が出来上がっていて、僕が自分を変えなくても、自分の仕事ができる環境でした。だけど、台湾では、目の前の仕事をするためには、自分を変える必要があったんです。
それが、自分を変えるいいきっかけになると思えて、そこから台湾で働くことを意識し始めました。
そして帰国してから半年後に、既に台湾で働いていた田川さんから「台湾に来ない?」という誘いを受けて、即答で「行きます!」と、飛びつきました(笑)
──田川さんから台湾へ誘われたのは、なぜだとおもいますか?
実際に台湾に行ってから、「なんで僕を呼んでくれたんですか?」と、田川さんに直接聞きました。
そしたら、「亦木はスマートというよりは、猪突猛進で、自分と仕事のやり方も全然違う。大きな失敗をするかもしれない。だけど、がむしゃらに自分がやるべきだと思う事をやり切ったり、誰かのために頑張れるのではないかと思った」と言ってもらえました。
そういった僕のストロングポイントを、認めてもらえたからなのかなと思います。

台湾で働く苦悩、目指す未来
──実際にアカツキ台湾で働いて、台湾メンバーに対する印象の変化はありましたか?
ありましたね。
初めて台湾に行った時から「みんないい人だな~」という印象はあったのですが、台湾で働き始めてから、より一層その印象が深まりました。
僕が台湾でもがき苦しんでいると、メンバーから「大丈夫だよ、亦木やれるよ!俺、信じてるから!」という心の底からの言葉が出てくるんです。
屈託なく本心で、ポジティブな言葉が出てくるところが、すごいなと。
──台湾で働いて、もがき苦しんだことはなんですか?
一番苦労していることは、自分の殻を破って、自分をさらけ出していくことですね。
日本では、形式的なコミュニケーションが多かったのですが、台湾では自分から動き出さないと、なかなかコミュニケーションが生まれないんです。
台湾に行ったばかりの時は、もちろん僕のことを知っている人がほとんどいなかったので、「こいつは誰だ?」という状態からのスタートでした。
「自分はこういう人間です」とさらけ出して、自分から輪の中に飛び込んでいかなければいけなくて…。
でも僕は、全然上手くできなくて、なかなか自分の殻を破れなかったんです。
台湾で心の底から感じたことは、恐れずに自分の殻を破ることが、グローバルキャリアを築く上で、大事なんだということです。
それができない人は、絶対に海外で、心から信頼しあって仕事をしていくことが出来ないのだろうなと痛感しました。
──今は、自分の殻を破れてますか?
今まさに、パキパキパキッと割っている途中です(笑)
台湾に行ってから、田川さんをはじめ色んな人にすごく助けてもらったんですよね。
日本のメンバーも、台湾のメンバーも僕のことを気にかけてくれて、僕のダメな部分を、真っ直ぐにぶつけてきてくれたんです。
そのお陰で、段々と変わり始めることができているのかなと思います。
僕は、他の人よりも自分の殻を破るのが苦手で、一人では無理だったと思います。
本当に周りの人が助けてくれているお陰で、破り始めることができているんだと思っています。
──台湾で検証のリーダーになったのはなぜですか?
最初は台湾で、田川さんの仕事の引き継ぎがメインでした。
でも、自分を見失ってしまい田川さんと同じやり方で仕事をしようとして、できなかったんですね。
上手くいかないことだらけだったので、このままプランナーの領域で仕事をするよりも、日本で培った「検証リーダー」としての知見を活かそうと思いました。
自分が培ってきたもので、新たにリスタートするという気持ちで台湾の検証チームのリーダーになりました。
──台湾の検証リーダーとして、目指している未来はありますか?
この半年、台湾の検証チームとして、担当範囲が縮小されたりなどの悔しいシーンがいくつかありました。
もちろんみんな頑張っているのですが、新しいことに挑戦したり、自分達の力だけでやり切るためには、もっと成長しなきゃいけないのが現状です。
やりたいことをやるために、僕自身も台湾検証チームとしても、周囲の信頼を積み上げていこうと思っています。
また、アカツキ台湾自体が今後どんどん変化し、新しい挑戦もしていくと思います。
どうなっていくのか純粋にワクワクしますし、ちゃんと変化についていけるように僕自身が、しっかりと成長していきたいと思っています。
──最後に、台湾にいてもCAPSヘの想いはありますか?
もちろん、ありますよ(笑)
今振り返ると、割と僕はCAPSでやりたいことを、自由にやらせてもらっていたなと思います。
ただやらせてくれるだけじゃなく、やりたいと思ったことを「なんでやりたいの?」と掘りさげて考えさせてくれるので、「本当にやりたいことじゃなかったな。」という気づきを与えてもらったことも沢山あります。
しっかり考えさせてくれたり、迷った時に親身に相談に乗ってくれたり、そういうところがCAPSのいい所だと思います。
CAPSヘの想いとしては、もうみんな好きにやったらいいんじゃないかなと(笑)
挑戦したら失敗することがあるかもしれないですが、CAPSにはそれを受け止める度量があるので!
本当に自分がやりたいことや、楽しいと思うことに挑戦して、成功できるように頑張ってください!
次回は、焼肉屋の店員からプロデューサーへ駆け上がったシンデレラストーリーをお届けします!お楽しみに!
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