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  • 執筆者の写真CAPS編集室

#4 就職を捨て、社会から逃げていた青年の、人生の攻略法

〜アルバイト入社から、ひとつのプロジェクトを任されるまで〜


常に120%の投球、常にポジティブであり続ける、三宅さんの真髄に迫ります。



【人物紹介】

[アカツキ福岡/三宅秀幸]

2014年2月にアルバイトとしてアカツキへ入社。

検証・カスタマーサポートを経験後、プランナー・運用ディレクターを経てプロジェクトリーダーへとキャリアアップを重ねる。同時期に正社員へのステップアップを果たす。

現在はアカツキ福岡の事業推進を図るとともに、組織改善にも貢献している。



フリーター時代、そしてアカツキとの出会い


── アカツキに出会う前の三宅さんは、どのようなことをされていたのですか?


九州大学工学部で、プログラミングを学んでいました。

同級生の9割以上は大学卒業後に大学院へ進み、大手電機メーカーなどに就職していたのですが、自分にプログラミングは全然ハマらず、卒業後は音楽の専門学校に入り直しました。



── 音楽の道に進んだのはなぜですか?


就職活動の時期に、自分のやりたいことを決めるじゃないですか。僕はそこで「音楽」と「ゲーム」に決めたんです。

人生で成し遂げられる領域って、ふたつぐらいだと思ったんですよね、どんなに偉大な人でも。

だから最初にそのふたつを決めて、どっちを先にやるか考えました。そのときに、ゲームはあとからでも出来るかもしれないけど、音楽はある程度の学びや基礎がないと戦えないと思い、音楽の道に進みました。



── 音楽の道から一変、ゲームをつくっているアカツキで働くことになったきっかけを教えてください。


音楽の専門学校が東京だったので、上京して、焼肉屋でアルバイトをしながら生活していました。

仕事ぶりの評価をいただけたのか、次第に店舗代表を任されて社員しか集まらないような会議に行くようになり、「あれ?俺は焼肉屋の店長になるために上京したんだっけ?」と。(笑)

そういったことが繰り返しあって、現実を突きつけられているような感覚になり、やりたいことのもうひとつとして決めていた、ゲームの道に進む決心をしました。時代の流れ的にも、音楽で成功するのは今は難しいと感じていたこともあったので。

でも、どうしようかと悩みましたね。新卒のチケットは使わずに来ちゃったので、今から新卒で雇ってくださいは無理だし、どこで働こうかなって。

そう思ったときに、イケてるベンチャー企業がないかを探して、当時はまだ創業4年目だったアカツキを見つけて応募しました。

当時ゲームディレクターを担当していたゆっきーさん(戸塚 佑貴さん・現アカツキ モバイルゲーム事業部 取締役)が面接をしてくれて、その場で合格をいただき、アルバイトとして働き始めました。



── アルバイトとして働くことに、不安はなかったですか?


そもそも会社で働きたくなかった人間なので。(笑)

その頃は正社員で働く気もなかったし、社会の歯車になりたくない!という思いが強かったですね。

ゆっきーさんからしても謎だったと思います。

「大学を出て何をしているんだ?でも上京してるくらいだからパワーもあるだろうし、何かやれそうな気はするけど、本当に謎だな」みたいな。

だけどこの世界って、どれだけリスクを取れるかで成功できるかが決まったりもするので、「こいつはリスクを取れるやつだな」とは思ってもらえたと思います。学歴を捨てて、就職を捨てて、上京して焼肉屋で働いているってむちゃくちゃだから。

のちに「2014年の1番の功績は、三宅くんを採用したことだわ」とゆっきーさんに言ってもらえたときは、うれしかったですね。





大事にしていたのは、とにかく何でも120%で返し続けること


── アカツキに入った当初はどんな仕事をしていましたか?


CS(カスタマーサポート)と検証の両方です。

最初はCSと検証ってチームとして別れていなくて、CAPSという1つの組織ですらなかったです。検証メンバーがCS業務もやるという感じでした。

僕はCSで、お客さまからのお問い合わせをメインに対応していたのですが、丁寧語はできるけど、尊敬語や謙譲語は使ったことがなく苦労しました。

それと同時に、CSには日々お客さまからのご意見が寄せられ、中には不満や苦情・お叱りの声もあります。お客さまにとって会社の顔となる仕事なので、慎重に丁寧な対応を心がけることにかなり神経を使いました。

反面、よろこびの声もたくさんあったので、そういった声を聞けるのは純粋にうれしかったです。



── 三宅さんがキャリアアップされた、最初のきっかけを教えてください。


僕が入社したあとすぐにリリースされたゲームがあるのですが、そのゲームの検証が足りなくて、「三宅くんゲーム詳しいし、ちょっとプレイして感想書いてよ」と。そう言われたのが始まりです。

最初に任されたときはどうやって書けばいいのか悩みましたが、少しずつ項目を分けてまとめて、「どこまで進めてみてどう思った」などを書いていきましたね。バランス調整用の検証兼フリーでデバッグするといった感じでした。

そこからそのゲームのプロジェクトに入って、バグの整理をやりました。バグの報告を書きつつ、優先順位をつけて、どれから直したら良さそうかをゆっきーさんに提案していましたね。

また、当時はCAPSが発足する前で人も少なかったし、困ったら誰かが助けるみたいな状態で、明確な役割もそんなにありませんでした。領域を超えて働くイメージが近いかもしれません。その時は、プロフェッショナルな人よりも、オールマイティーに何でもできる人の方が仕事を受け入れやすかったと思います。



── バグの整理の次はどのようなことを担当されましたか?


スクリプト(シナリオスクリプト)を書く仕事をやりました。

いわゆる一行プログラミングです。

ひとつ一つのスクリプトがどのように動いているか、分析しながら覚えていきました。

そのあとはマスター(※1)というものを教えてもらい、お知らせ書いたり、バナー発注したり、デプロイ(※2)の進行をしたり、運用のスケジュールを組んでみたり。とにかくいろんなことをさせてもらいました。



(※1)ゲームシステムを構築するために、ゲームの動作やバランスを数値化し、表にしたもの

(※2)新たに開発したゲームのデータやコンテンツをユーザーが遊べるようにする作業



── 様々な仕事に取り組まれる中で、どういった想いを持っていましたか?


「何か困ったらあいつに任せとくか」という人になりたいなとは思ってました。

頑張りは結果で見せて、普段は暇そうに生きるのを心がけてましたね。「自分暇なんで、とにかく何でもやります!」と。そしたら、いろんな仕事をもらえました。

「仕事ができる人は、ほかの人の仕事を減らしてあげられる人」というのを、焼肉屋の頃の店長に教えてもらいましたが、まさに真理だったと思います。どんな仕事でも楽しんでやれる人は評価される、みたいな。



── 三宅さんが仕事をする上で大事にしていることは何ですか?


当時大事にしていたのは、どんな仕事でもやってみること、そしてそれを120%で返すこと。全部を120%は難しいけど、どこかしらには120%を忍ばせてました。

120%で返していると、次のバッターボックス=次のチャンスが来るんです。

どうやったらチャンスが来るかは見えにくいけど、チャンスが来る人たちはみんな、その前のバッターボックスで120%を返していると思うんですよね。

もし「チャンスが来ません!」と思っている人がいるとするなら、たぶん、その前に120%でやらなかったから。100%では印象に残らないんです。そもそも、自分の100%が相手にとって100%だとは限らないじゃないですか。たぶん80%くらい。なので、少なくとも自分の中では120%で仕事をするのは、大事かなと思いますね。

もちろん、そういった頑張りを見てくれる素晴らしい環境だった、というのも前提にあります。



── 120%で返すという気持ちはどこから生まれるのでしょう?


純粋に仕事が楽しかったからだと思います。

アプリゲームって、自分たちで考えたことがすぐに反映されるので、自分のアウトプットが何点なのか、わりとハッキリわかるんです。KPIもそうだけど、定性的な声もネットを見ればすぐにわかります、どれだけ盛り上がっているのかとか。「これ、ビックリするだろうな、面白いだろうな」と思いながら、過激な数値設定のマスターをたくさんつくってましたね(笑)

ユーザーに直接お会いことはできないですけど、画面の向こうのユーザーがよろこんでいる姿を感じると、素直に嬉しかったです。






とにかくポジティブであり続ける


── プロジェクトリーダーを任された経緯と、任されたときの心境を教えてください。


きっかけはリリース前の新しいプロジェクトへの異動です。

圧倒的に人が足りないということで、前のプロジェクトでも経験していたバグの整理から始めました。たぶん今のアカツキからは全然想像出来ないと思うんだけど、誰が何をやっているのか、まるでわからない状況でしたね。当時は、塩田さん(アカツキのCEO)が経営の手を止めてまで、現場で「誰がいつまでに何をするか」を整理してました。(笑)

それくらいプロジェクトの体制が混沌としていたこともあり、次第に全体の仕切りに近い業務も任されるようになりました。

そうしてゲームは無事にリリースを迎えたけど、チームは引き続き混沌とした状況で、みんな自分のことで精一杯。リリースという明確なゴールはクリアしたけど、その後どうすれば良いかさえも決まっていない状態で、誰かが組織を立て直さないとまずいな、と誰もが感じていましたね…。

ちょうど当時のプロジェクトリーダーが次のプロジェクトを立ち上げるというタイミングでもあったので、次の世代に任せてみるか、と僕に白羽の矢が立ったんだと思います。

心境としては、わくわくしました。

プロジェクトリーダーを任されるとき、香田さん(アカツキのCOO)からは「一企業の社長だと思ってやって」と言われました。その日のことは、今でも鮮明に覚えています。当時は香田さんと話す機会ってほとんどなくて、その香田さんがわざわざ部屋に呼んで、あとはお前にまかせた、と。しかも、ついこの間までアルバイトだった若僧に任せるわけなので、これは相当な想いが詰まってるんだろうな、と思いました。どう考えても思い切った決断なので、この会社の経営陣、器が大きすぎるな、と。(笑)



── 組織を立て直さないとまずいとは、どういった状態だったのですか?


メンバー間の関係値が築けていない状態でしたね。あくまで、仕事という名の作業をするために、会社に集まっている人々、みたいな。すごいドライな職場、と言うとわかりやすいかもしれません。



── 三宅さんがリーダーとしておこなったことを教えてください。


朝会を始めたのですが、メンバーからすると突然現れた若僧のリーダーという感じだったと思うのと、さらに僕も人前で喋ることに慣れていたわけじゃなかったこともあり、きちんと伝えたいことが伝わっているか不安でした。

なので、途中からは朝会に合わせて音楽をかけたり、プロジェクトのニュースを届けるためのデジタル新聞のようなものをつくりました。デザイナーさんにお願いをして、本格的に発行してましたね。そうすることで、毎朝何かしらの楽しみが職場に生まれますし、手があいたときに読めて、僕の想いも伝えやすいなと。プロジェクト以外の時事ネタもちょくちょく書いていたので、その新聞を通して、なんとなくチームがひとつになる感覚はあった気がします。

あとはとにかくポジティブにあり続けました。

ゲームに対して「面白くない」とか「不具合起きてて最悪」とか、そういう声って無限にあるんですよね。だけど、「そういう声も全部理解しているし、ちゃんとケアしていくよ」っていうのを伝え続けたら、みんな安心していくんです。「今はダメかもだけど、なんとかなりそうだな」と。

結局のところ、掲げた目標をどれだけ信じられるかどうか、描いた未来に向かってポジティブに生きられるかどうか、あとは事実をどう見るか次第だから、その見方を僕はひたすらポジティブに伝えていたし、ネガティブなことがあっても「わかってる、でもこうも考えられる、なんとかなるよ」って、いつも伝えていました。

そうすることによって「見方次第なんだ、大丈夫なんだ」という想いがみんなの中に芽生え、ポジティブな組織に変わったと思います。



── 三宅さんがポジティブであり続けられる理由はなんですか?


自己啓発本をたくさん読んでいるからだと思う。(笑)

10代の頃は、雨が降っているだけでイライラしてた時期もありました。

なんかついてないなー、みたいな。

でも本を読むと、そういうのって自分次第だし、とんでもなく小さなことだなと思えるじゃないですか。つまり、事実をどう捉えるかは自分次第で、その自分という生き物を一歩引いた視点で見たときに、偉大でありたいな、と。自分にはもっともっと可能性があって、まだまだやれる、と思ってますね。



── 三宅さんがキャリアアップできたのはなぜだと思いますか?


自分の物語への想いがあったから、かもしれないです。

というのも、成功している人は一度落ちてたりするんだよね。やりたいことがあって大学を中退しているとか。

なので、自分の価値を高めるために、一度レールを外れるのはありだなと。

結局、自分がどこまでやれると思っているかが大事だし、その通りになるんだなと思います。

あとは、ベンチャーって勇気ある気持ちを買ったりするから、自分の生き方がアカツキにハマったのかもしれない。こんなにも自由に任せてもらえる会社、なかなかないと思うので。(笑)



── 最後に、三宅さんが今後挑戦したいことを教えてください。


まだ何も残せていないので、何かを残したいです。

物理的かつ今後も変わらないものを残したい。初めて◯◯をつくった人、みたいな。

最終的には、あれもこれも「実は自分がつくったんだよね」と、いろんなものに対して言えるようになりたいなと思っています。ちょっと贅沢ですけどね。(笑)



 

次回は、CAPSの生みの親でもある、CAPS統括リーダーにお話を伺います!お楽しみに!



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